創立の経緯

◆ 前史  平和と民主主義の実現のために
 太平洋戦争終結後、混乱の続く横須賀において経済の再建と民主主義化に積極的に取り組んだ中心人物が米海軍司令官ベントン・W・デッカー大佐であった。熱心なクリスチャンであったデッカーはカトリックとプロテスタントの関係者に働きかけ、その結果聖ヨゼフ病院、栄光学園、清泉女子学院、横須賀キリスト教社会館、青山学院横須賀分校専門部、衣笠病院といったキリスト教関係の諸施設が、相次いで発足する事となりました。

◆ 横須賀平和学院  奇跡の設立
 1947年6月に青山学院横須賀分校専門部(機械科・土木建築科)が発足し、その責任者となったのは同学院女子専門学校校長古坂嵓 城(のち横須賀学院第2代院長)でした。翌1948年4月には第2高等部が併設され、安井正男(のち横須賀学院理事など)が専門部と高等部の部長となりました。しかし青山学院は横須賀分校を開校したものの、その維持が大きな重荷となり1949年に閉鎖せざるを得なくなり、専門部は生徒・設備一式を関東学院に引き渡し、高等部は別の独立した学校とする事となりました。青山学院では復興局長飯島剛二が自身の所属していた日本キリスト教団田園調布平安教会日野原善輔牧師に高等部の今後について相談し、日本キリスト教団議長小崎道雄も協力を約束。日野原・小崎が米軍と折衝する中、デッカー司令官と鎌倉雪ノ下教会松尾造酒蔵牧師との面談も実現、具体化が進みます。しかし青山学院が借用していた校地・校舎の所有権(米軍から大蔵省の管理下に)も持たず、ほとんど無一文に近い名のみの新法人が学校の設置を認められる可能性は極めて低く、関係者の苦労は続きます。青山学院や教文館からの資金援助を得ながらも、設立後院長に就任した武部 啓(日野原の女婿で当時東京大学理学部講師)が20周年記念誌の中で「20年前横須賀学院にも奇跡が起こったのであろうか」と述懐しているように、異例の設立でありました。
 1949年12月29日財団法人横須賀学院設立理事会が開かれ、理事長に小崎道雄、院長に武部啓が選出されました。理事会出席者は小崎、日野原、武部、松尾、白山源三郎、R・ハーカー牧師、H・ドラモンド牧師であった。またこの席上で学校名は「横須賀平和学院」と命名されました。

古 坂 嵓 城
青山学院第10代院長。青山学院女子専門学校長時代の1947年(昭和22年)2月に横須賀分校設立の責任者となり、同年6月専門部機械科と土木建築科を、翌年4月に第二高等部を設立。青山学院の院長職引退後、1961年(昭和36年)4月、横須賀学院第2代院長に就任した。「敬神 愛人」の基本精神を制定。プールの建設・食堂の設置など教育環境の整備に尽力した。

安 井 正 男
青山学院横須賀分校に設置された第二高等部の部長。財団法人横須賀学院設立時の理事。1950年(昭和25年)、横須賀学院としての再スタートに当たり、主事として勤務し、青山からの引き継ぎと新設学校の諸分野の整備・充実に腐心した。
篤き信仰心と理想に燃える、小・中・高の校長を兼務した横須賀学院初代院長の武部啓(日野原善輔の娘婿)のもと、日常の教育指導と学校運営の任にあたる

◆ 横須賀学院  キリスト教一貫教育の学校を
 1950年3月14日、神奈川県知事より小学校・中学校・高等学校設立の認可を受け、次いで3月31日に青山学院高等学校横須賀分校は新法人に移譲され、正式に財団法人横須賀学院として発足することになります。
 4月には生徒募集が行われ、1949年入学の青山学院横須賀分校から引き継いだ2年生男子50名と1950年4月入学の中学校1年生(134名・中学1期生)、高校1年生(25名・横須賀学院での入学生、高校2期生になる)同じく青山学院から引きついだ夜間高校74名を持って開校。6月9日に開院式式典と記念行事を催す。次いで9月には小学校児童全学年の募集を行い2学期から開校。(約500名)。ここにキリスト教に基づく一貫教育を目指す学校としての土台が据えられました。
 この年白浜会(PTA)が発足、初代会長の西原重明は会員父母に呼びかけ校舎・校具の修理・清掃に用具・資材を持って当たりました。(この気風は長く受け継がれ、さまざまに整備された今日でも、バザーやクリスマス行事・・・物心両面からの大きな力となっています)
 1951年は高校の募集なく(高校は進級した2年生30名と3年生51名。小学校は初の卒業生を出し、定時制も卒業生出します)、翌1952年も引き続き高校募集なく3年生のみの編成。1953年に高校の入学があり高校3期生102名が編成されます。この中には進級してきた中学1期生が含まれますが、高校在籍は高校1年生のみでした。続いて1954年、高校4期生入学(高校1・2年)1955年高校5期生入学で高校生全学年がそろい、さらに幼稚園が開園(1959年休園、1962年廃園)し、幼小中高からなる一貫教育14年の横須賀学院が誕生しました。(幼52名、小718名、中380名、高306名、総計1456名)

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